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2025-T3 PHOTO ASIA

Tokyo Midtown Yaesu, 2025.10.11. - 10.13.

Limb Eung Sik

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History of Korean Photography in the Making:

林應植

イム・ウンシク

Limb Eung Sik, 雪日(Snowy Day), 13.6×17.6cm, vintage gelatin silver print, 1956.

韓国師団の開拓者、林應植の作品世界

  (林應植)イム・ウンシクが70余年間にわたり撮影した約8万点の写真のうち、彼を代表する作品としては、1950年代から晩年まで展開された「生活主義リアリズム」の写真、そして1960年代から1980年代にかけて制作された《韓国の古建築》連作と《風貌(韓国の芸術家)》連作が挙げられる。 

​​ 「生活主義リアリズム」は、イム・ウンシクが1950年の朝鮮戦争に従軍記者として従軍し、写真の記録性と写実性に目覚めたことを契機として始まった。彼は韓国の写真界にヒューマニズムを基盤とし、現実の人間生活を飾らずに表現する「生活主義リアリズム」写真運動を積極的に展開した。これは韓国写真に初めて「記録の価値」を導入し、戦後の急変する韓国社会の歴史を積極的に刻印したものと評価されている。
さらに、彼の「生活主義リアリズム」写真は、単なる記録や写実を超えて、その背後に潜む「真相」を提示しようとした。

​  特にイム・ウンシクは、1950年から2001年の死去直前まで50年以上にわたり、ソウル・明洞の街を歩き、人々の生活を記録した。明洞は1950年の戦争で廃墟となったが、すぐに復興し、1960年代には文化人や芸術家の集う中心地、1970年代には流行の発信地、1980〜90年代には金融街へと変貌し、韓国近現代史の縮図となった。彼は「明洞は最上層から最下層まであらゆる人々が集まり、韓国の現実を集約的に見ることのできる縮図である」と述べ、ほぼ毎日のように撮影に出かけた。イム・ウンシクが時代ごとに記録した明洞とソウルの姿は、まさに彼の「生活主義リアリズム」を体現するものである。

 《韓国の古建築》連作は、総合芸術月刊誌『空間』を創刊した建築家・金寿根の依頼により始まり、イム・ウンシクは1966年11月号から14回にわたり『空間』に「韓国の伝統建築」写真を連載したことに端を発している。宗廟、景福宮、秘苑、楽善斎、海印寺などを紹介したこのシリーズは、後に建築家金源との協働により1978年から全5巻の写真集『韓国の古建築』へと結実した。1960〜70年代にかけて、イム・ウンシクは宮殿や寺院、伝統家屋のみならず、長栍や民俗品、伝統舞踊など、消えゆく文化遺産を広範に記録した。

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林應植(イム・ウンシク)  1912-2001

  1972年、イム・ウンシクはソウルと釜山で初の個展《イム・ウンシク回顧展》を開催した。1982年には写真家として初めて国立現代美術館で大規模回顧展を行い、展示された418点はすべて同館に永久収蔵された。没後の2012年には、生誕100周年記念展が国立現代美術館で開催され、彼の生涯と作品世界が改めて照射された。

​  林應植は「生活主義リアリズム」を提唱した写真家であると同時に、国内における写真学教育の基盤を築いた先駆者であり、さらに韓国写真界の発展を牽引した核心的人物として評価されている。1932年に写真を始めて以来2001年に没するまでの足跡は、今日の韓国写真芸術の形成に決定的に寄与したことを示している。

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KIM WOO YOUNG

Recording the Boundary Between the City's Past and the Present

金祐暎

キム・ウヨン

Kim Woo Young, CG1645, 111×148cm, archival pigment print, 2023, ed.1/7+2AP.

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「一般的に、写真は光の芸術や一瞬を記録するものと言われる。

しかし、私にとっての写真は、自分が観察したその“時間”そのものを意味する。
私は、その空間の美しさを完全に把握した上で記録しようとする。
私にとって写真とは、刹那の芸術ではなく、時間の意味を宿して記録する芸術なのです。」

金祐暎(キム・ウヨン) b.1960~

路上における視覚的思索

私の写真は、日常の中でよく目にする風景から出発している。どこかで見たことがあるような感覚、しかしそれが何であるのか、異なる形で映し出されている感覚—この曖昧さこそが、私の写真における問いの出発点である。私の風景は、確かに日常の一部であるが、あらかじめ計算され、計画された視覚的条件のもと調整され、再構成された風景である。結論から言えば、私と観客のあいだに「読まれる」作品が存在しているということになる。このプロセスにおいて、作品の意味が膨らんでいく過程に重点を置いている。いずれにせよ撮影の対象となる風景の位置と、撮影という意識的行為における思考の位置ーすなわち、論理的な接点が明確になる地点でフレームが定まり、シャッターが切られるとき、より緊張感は強まっていく。言わばそれは、論理的な風景観であり、同時に風景に対する批判的な写真観とも言えるだろう。

私の制作において、色彩の表情は非常に重要な要素である。色に対する解釈は、一見放置された風景の複雑さ、そしてその現実感を扱う上で、モノクロ写真の象徴的表現や内的イメージの比喩的展開とは全く異なる、直接的な視覚条件を生み出す。私の写真は、具体的なメッセージを持った実験ではない。だからこそ、ダイレクトな視覚の在り方を提示することで、風景に対する新たな解釈の可能性を示そうとしている。
私の写真は、単なる風景の断片でもなければ、意味を記録するための写真とも言えない。現実を「世界」そのものとして理解し、捉えようとする論理が全面に現れてくるのだ。すなわち、現実の色彩体系を独自に調整し、自然の色彩体系を自らの言語へと置き換えて示そうとすること—これこそが、私の色彩体系であり、風景に対する基本的な認識だと言えるだろう。

- 2016. 10. 作家ノート-

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